つれづれ edit
※旧サイトの日記です(2025年2月21日)

今日、プロの先生に新作ネームを見て頂いて、方向性などを相談しました。本当は担当編集さんに見てもらった方がいいんだけど、プライベートの事情でやめざるをえなかった。ハハ…(乾いた笑い)

今回見せたネームは、美大浪人中の平凡男と、ヌードモデルの金髪男の一般向け漫画です。
これを先生に見せているとき、ちょっと画面越しに涙が出てきてしまった。明るく笑ってアドバイスしてくれる先生が、なんだか憎らしくなってしまったんだよね。自分は自分の作品を読んでもらう人に、笑ってほしいわけじゃないんだなとはっきり思った。作品にもよるけど、笑うことができなくなるくらい真剣な感情を芽生えさせたいんだなと思った。心に爪痕を遺すともいう。今回のネームは、プロの先生にとってはまだ笑って読めるくらいの作品だったという事実に、背筋が伸びる感覚があった。

ネームを人に見てもらうのは自分にとっては身を切るような苦痛がある。こと絵においては、アドバイスをもらうのが幼稚園の頃から大嫌いだし、超絶落ち込む。相手は悪くない、編集さんや見てくれる人が悪いわけじゃなく、自分が初見の人になんの印象も沸かせられなかったという圧倒的な事実に泣きたくなるだけ。

だから、おまじない。

  • 相手が絶対正しいと思わないこと
  • アドバイスは流し聞きして、おいしいとこだけつまみ食いすること
  • 慢心でもいいから自分の作品を自分だけは愛すること
  • そして何より、自分の心に嘘をつかないこと。自分が本当に描きたいものを妥協しないで描くこと


これを心にしまったら、あとは技術の問題。画力とか構成力とかはインプット&アウトプットで何とかなる。ワイは京極夏彦じゃないから最初から完璧なものを描くのは無理だ。今回貰ったアドバイスも、ちゃんと作品には活かしていくつもり。

自分がプロレベルで話づくりがうまいとは微塵も思っていない。だからこそ、人の意見を素直に聞く姿勢が必要だ。漫画は商業で、美術とは真反対のものだから、そこらへんを勘違いすると精神衛生上よくない。編集者は仕事だから。美術はいかに主観を鍛え、己の存在を映し出すかだけど、漫画は客観を鍛え、読者を喜ばせることが大切。

そう。読者が大切。しかし……………スゥ――――――――ッ

ワイは読者ありきで漫画を描くのは無理!!!!多くの読者なんてのは幻想だと思う、存在しないと思う そんな移ろいゆく儚いもののために描くことはできない 人とのつながりはその交点を表現によって探す、それが表現者の生き方ではないのか。私はそのために全力を注ぐけど、交わらない人たちのために描くことはしたくない。

そしてそれでいいと思ってる。それでいい。それでいいんだよ。自分の人生、自分の表現なんだから。

その交点を増やすために漫画を描いていこうよ。反対も否定も笑いもすべて吹き飛ばすには本気で純度の高い作品を描くしかないじゃない。戦うんだ、なんとしても、自分の心のために。私にできるのは強い思いを持ったキャラクターを全力で作り、最高の舞台に配置し、色んな経験をさせること。そしてそれをなるべく客観的に伝えるために編集者がいる。わたしが自分の作品を理解していかないとダメだ。何でも血肉にしていくんだよ。

よし…もう我慢ならないから編集さんにコンタクトとろうかな。
みんな、自分の裸と同じくらい恥ずかしい本物の部分を、大切にしていこう。